終わりを遅らせる

先週の半ばあたりに突然体が動かなくなった。仕方がないので仕事を休んでずっと寝ていた。

それ以前から悪夢をみて動悸で目が覚めたり、日中もひどい頭痛や肩こりに悩まされていたりして、「あれっちょっとヤバいな」という気配は察知していたのだが、金銭的な余裕のなさや自分をケアする作業の億劫さなどから見て見ぬふりをしていた。自業自得でしかない。

寝ている間、もう二度と動けないかもしれない、働けないかもしれないというおもいに囚われた。うつが悪化するといつもこうなるので、いい加減予防やら対策やらできていてもいいものなのに、毎度深刻に同じような不安に襲われている。

今回は結局1週間ほど寝込んだ。その間散歩をしたり、人と会ってもらったりして、少しずつ頭も回るようになってきたけれど、自分の心身の衰えをしみじみと感じてしまって、「いつになったら終わるのだろう」とおもうことが増えた。

終わらせようとおもえばいつでも終わらせることができるわけでもなさそうだから、これからわたしにとって、生きるということは「終わりを遅らせること」になるのだろう。

いつか終わりが来るけれど、それは今じゃない。生きることも、働くことも、自分と誰かの関係も。これまでは衝動的に仕事や人間とのつながりを絶ってしまうことが多くて、近い将来でさえ自分がどんな選択をするのか想像もつかなかった。その「分からなさ」は今でも変わっていないのだが、心境には少し変化がある。変わることに、新しいことに疲れてしまったのかもしれないし、今の自分(と、自分を自分たらしめてくれている環境や人々)に愛着があるからかもしれない。

できる限り、少しずつ終わりを遅らせていく。今日もわたしは一日、わたしの終わりを遅らせたーーよく生きた。