人間関係焼畑農業

7月を過ぎたあたりからどうも調子がおかしくて(といっても就職してから調子が良かったためしはあまりないのだが)、変なやからにつけこまれたり、あるいは自らその懐に飛び込んでいってしまったりすることが多かったので、おもいきって人間関係の断捨離をした。

この言葉の初出が人生のどの時点だったかさだかにはおもいだせないが、いわゆる「人間関係焼畑農業」である。断捨離というと単に不要なものを捨てるだけのように聞こえるが、焼畑というと古い畑を燃やして新しい作物を育てようとする前向きな気概が感じられてよい。ということにしている。

大抵の場合わたしにそのようなポジティブな意志はなく、火を放つときは「全員ころす」という恨みがましい気持ちでいっぱいになっているのだが、不思議なものでしばらく時間がたつとまた新しい人間関係が生まれているので、結果的に焼畑は成功しているのかもしれない。

前回の焼畑農業は主に趣味(ゲームやアイドル)を通じて知り合った人間たちが対象となった。自分自身の体調が悪化して趣味を楽しむ余裕がなくなったことが大きな原因だが、他人との関係に疲れて趣味を楽しむ余裕がなくなったのだということもできるだろう。

自分でいうのもなんだがわたしは人当たりの良いフリをするのがなかなか上手い。「面白くて陽気なお姉ちゃん」キャラでそこそこ輪に馴染むこともできるのだが、いかんせん実態は神経質で陰気なバケモノなので人前に出るのは疲れるのである。神経質で陰気な本性を隠さずにいれば良いのかもしれないが、そういう立ち振舞いをして他者に配慮を強いる方がストレスに感じる厄介なたちなのだ。気を遣われていることを感じながら人間と接している時間ほど気まずいものはない、といいながら自分は気を遣っていないと落ち着かないのだから、矛盾している。

とはいえ完全に気を遣われないことも完全に気を遣わないことも他人と関係する以上無理なはなしだ。だとしたら少しでも自分がストレスを感じる場面を減らした方がいい。というわけで焼畑を実行したのである。そしておそらくまた新たな人間と出会うことになる。人間のこと自体はそこまで嫌いではない。ただ直接関係しようとするとひどく疲れてしまうだけなのだ。

さすがに何度も同じ失敗を繰り返しすぎているから、いい加減今度は人間関係を無茶に広げるのはよそうとおもうのだが、焼畑はやめられない気がしている。というか、やめる必要はないかもしれない。切りたくても切れない人間関係もたくさんあるけれど、切ろうと思えばいつでも切れる人間関係もあるので、一度始めたものでも終わらせることができるという考えを常に持っていることは、わたしのような人間にとっては救いになるのだ。