呪いの日記

日記って一日の終わりに書くものじゃないの?という気がしないわけではないが、書きたいときに(かつ書けるときに)書いておくにこしたことはないのでひとまず書きはじめておく。今は就業時間中だが、体を横たえないように意識を保っているだけでせいっぱいだし、片手間にちょっとした散文をしたためるぐらいどうってことないだろう。

呪いの日記というタイトルを先につけたはいいが特定の対象を思い浮かべていたわけではない。今日は朝から頭痛と耳鳴りがやまず、1時間ある昼休憩のあいだにちょっと仮眠をとろうとおもったら2時間以上起き上がることができず、夜は外に出て人と話す用事があるのに到底そんな心持ちにはなれず、「全員しんでくれ」という恨めしい気分の矛先をどこに向けたらいいのか分からない。まあ、向けるも何も「全員しんでくれ」という呪いはたぶん自分も含めた森羅万象が対象になっているような気もする。

しかし、「全員しんでくれ」という表現にはいささか語弊があり、より正確を期すならば「わたしの気に入らない者達はわたしも含めて全員しんでくれ」という意味なのだ。わたしの気に入らない者達はこの世の中にあまりにも多すぎる。

精神の均衡のためにできるだけ見聞きしないようにしているが、ひょんなことから政治に関するニュースが視界に飛び込んでくると登場人物全員なるべく苦しんでしんでくれとおもうし、仕事やプライベートで不本意ながら関係をもたざるを得ない人間たちに対しても考えうる限りもっともみじめな死に方をすればいいと感じたりもする。

人間に対する気に入らないとか嫌いとかいった自分の感情の激しさに驚くこともあるが、本来自分は感情的な(高校生の頃などは覚えたての言葉を使いたくて文通相手に自分の性格を「直情径行なところがある」と説明していた、痛すぎる)人間なのだということを思い出すのは割に重要なことで、わたしには自分の感情を抑圧する傾向がややあるので、こうして文字に書き起こして自分の気持ちを思い出す作業はある種のセラピーになっているのかもしれないし、むしろ逆効果なのかもしれない。

不特定多数の対象に苦しんでしんでほしいとおもっている感情を書き起こす行為がセラピーになりうるのか。まあそれはいいとして、昨日は判断能力を失って一挙に数万分の衣服を購入してしまった。今期の流行りだとかいうよく分からないデザイン(勢いで買っているので細部をまったく覚えない)のワンピースと、「HELL」という風船を持ったクマがあしらわれたTシャツと、男物のちゃらちゃらしたズボン(洋服を形容する語彙がマジでねえ)と、その他につまらないものをいくつか買った。届いたらたぶん覚えのないものも混じっているとおもう。

一カ月に一度くらいこのような不可解な購買行動に出てしまうことがある。絶対に必要なわけではない(なくても困らない)商品にお金を使うことで自分にもまだ欲望があるのだと確かめたいのだ。お金に余裕があるわけでもないのに。一晩あけたら惨めな気持ちになることはわかっているのに。こういう自分が心底嫌いだし、お金を使うことがなんらかの承認やステータスにつながるような仕組みそのものが本当に呪わしいとおもう。ここから外に出られないことはわかっているので、今日は帰ったらたっぷり眠ることにする。