わたしを眠らせてくれるのは次の日わたしを起きられなくする薬

このタイトルを書いたときにふと「あれ、江國香織のこんな感じの小説あったよな」というのが頭をよぎった。なんだっけ、号泣する準備ができているやつだけじゃなくて、きらきらひかっている感じのでもなくて、あったぶん泳ぐのに安全でも適切でもない小説だ! と思い当たったはいいものの、『泳ぐのに、安全でも適切でもありません』って泳ぐのに安全じゃない環境が泳ぐのに適切な環境なわけないだろ、ふざけたタイトルをつけやがってと「クソリプ」を送りたい気持ちに全身が支配されてしまった。

江國香織の小説を好んで読んでいたと表明するのはたいそう恥ずべきことだとわたしは感じているがわたしは江國香織の小説を好んで読んでいた時期がある」旨の発言を友人に対してもインターネット上でも何回か繰り返してきたが、その考えは今も変わっていない。

わたしが江國香織作品の何にムカついているかというと、まあかつて好きだったがゆえにいろいろな感情をこじらせているのだが、たとえば「江國香織ほど『誰もが憧れそうだけど実際そんな恋愛はしたくはないという恋愛、どこかにありそうだけど絶対にどこにもない恋愛』を書くのが上手い作家はいないのに女性同士の恋愛を書くときだけ『本当はダメだと分かっているしいつか終わりになると諦めている刹那的な関係というテンプレートな駄作』を出しやがって」という点などにひどく腹を立てている。

こんなのはよくあることで、日本語で書かれた小説で自分の好きな同性同士の物語に出会えることの方が少ないのだが、わたしは江國香織の「誰がこんな恋愛したいと思うんだよウケる」「でも世の中にどっかにはこんな恋愛してる人たちいそう」「いやいやね~よ中谷美紀の顔面尾テディベア作家と大森南朋風の会社員の夫婦がW不倫してることとかあるかよ」と突っ込みたくなるような部分を憎みつつも愛してきたのだとおもう(同様のこだわりは長野まゆみ作品に対してもいえることだが、それを書き始めるともはや日記ではなくなってしまうのでおいておく。しかしすでに日記の体裁をなしていない気もする)。

しかし江國香織の小説は以前引っ越しをしたときに一冊を覗いて処分してしまった。その一冊を覗いて母が全く同じコレクションを持っているからである。

その母に今日の昼間「あんたいつまで寝てんの?」と声をかけられてわたしは驚いた。いつまで寝てんのって今日は朝ちゃんと起きれたがな、と反論をしようとして気が付いた。わたしは昼寝をしていたのだ。朝いつも通りの時間に仕事をはじめて、あまりの眠気に耐え切れず30分の休憩をとって仮眠をとるつもりでいたのだが、母に起こされた時点で休憩の打刻をしてから2時間はゆうに過ぎていた。目をつむってから母に起こされるまで一瞬の出来事だった。

恐らく昨夜飲んだ眠り薬のせいだとおもう。今わたしは眠くなる薬を4種類ほど所持していて、1つは食後に飲むもの、もう2つは寝る前に飲むもの、ここまでは医師に処方されたものだがもう1つは個人輸入したよくわからんピンク色のもの(たぶんルネスタ)。調子がいいときは食後に飲むものと寝る前に飲むものAとルネスタで熟睡できるのだが、調子が悪いときは4種類全部飲まないと寝付けない。仮に寝付けたとしてもほぼ寝ていない。体は動かないが脳が起きているような状態で、始終考えごとをしているし、狼に食われる夢とかノコギリのような刃物で腕を切断される夢などをみる。

しかしその4種類をフルコースで飲むと次の日起きていられんのである。朝起きれたとしても昼間に一度満足するまで眠らないと頭がどうにも回らない。自分の意思に反して体が睡眠を求めている。しかし心行くまで寝たとおもっても何故か眠気はとれないし、変な体勢で寝るものだから体が凝ってしょうがないので、仕事をしなくなる。結果、納期に間に合わなくなり会社に内緒で休日に作業をする羽目になる。

すべては自業自得なのだが、一体どうすればいいというのか。医者には通うたびに上手に眠れないと報告して、いくたびにちょっとずつ薬を調整されるが、最初の数日はよくてもしばらくするとどんどん眠れなくなってくる。以前医者に「気分が良くなって不安もすべてなくなって毎日幸せに過ごせて簡単に意識を失える薬がほしい」といったら「それは合法では手に入らないね」と真顔で返され、「でも中上健次の小説とか読んでるとみんなヒロポン打ち放題やがな」とおもいつつ「そうですかあ」と答えたことなどがあった。