怒る言葉がない

仕事で人を怒らなければならない立場になってはじめて、自分は人を怒るのが苦手なのだと気がついた。

そして、それはわたしが「女」と見なされる存在であることと無関係ではないのかもしれない。

そもそも、わたしには人を怒ったり叱ったり注意したりする語彙が絶望的になかった。「お願い」や「相談」はかろうじてできたとしても、「指示」や「注意」をするためのチャンネルがない。

「やってくれたら嬉しいなあ」と笑顔でお願いすることはできるが、「やってください」と強い口調で言い切ることは難しい。

わたしには怒るための言葉がないのである。その他の語彙に比べて、圧倒的に少ない。たぶんそれは今までの人生のおいて誰かに服従していた時間がもっとも長かったせいだろう。

当時は憧れだと感じていたが今思えば「精神的支配」に他ならなかった幾人かの教師との関係や、「自分の言うことを聞かないおまえには1ミリの価値もないぞ」と、自分の考えを理解する賢い女と付き合いたいとおもっていた元恋人。そして、「自分ができなかったことをすべて実現する息子がほしかったけど、まあ女でも俺の子どもなら賢いだろ」とねじれた愛情を捧げてくれた父。

これらはわたしの個人的な体験に基づくものだし、わたしと近しいジェンダーセクシュアリティの人間のすべてが、「怒る語彙がない」と感じているわけではないとおもう、でもわたしは、この無力感が「自分が社会において女としてみなされる存在である」こととまったく無関係であるともおもえない。

わたしが怒るとき(怒ろうと試みているとき)、怒っているわたしの台詞を他人事のように冷静になって聞いてみると、それはまるで父や元恋人がわたしに何かを言い聞かせるときの口調とそっくりだった。

そのわたしを、わたしに怒られている年上の男の部下は、にやにや薄ら笑いを浮かべて見ている。この胸くそわるさを一体なんと形容したらいいのだろう。