愛すべき鈍感な女たちへ(呪いの手紙)

自分のためにも他人のためにもいい子ぶるのはもうやめようと思ったのに、気が付いたらまたわたしはいい子ぶっていて思考回路はショート寸前、というよりショートした結果がこの呪いの手紙かもしれない。

呪いの手紙といってもこれは特定個人に宛てて書かれたものではなく、不特定多数の「愛すべき鈍感な女たち」へ捧げる恋文である。これを読んで「自分が責められているように感じる」と思う人もいるかもしれないが、そのとおり、わたしは「あなた」を責めている。

さすがにここまで脅しておけばまっとうな読者は引き返すだろうからあとは存分に好きなことを書く。脅迫ついでに最悪な断りを入れておくとわたしは拒絶も反論も受け入れるつもりはない。正確にいうと、拒絶や反論が存在するのは当然だし個人的にやってくれる分にはまったく構わないのだが、それがわたしに向けられた瞬間わたしは姿を消す。なのでわたしを消したい人には今が絶好のチャンスともいえる。どうかお好きなように誹謗中傷を書き込んでくれて構わない。

さて、唐突に本題へ入るけれどわたしは「鈍感な女」がたいそう憎い。何に対して鈍感な女かというと、たとえば「ジェンダー」の問題、たとえば「オタク」であるという問題、「消費」することの問題、この国の「政治」や「社会」に関する問題、「女」と「女」の間にも厳然と存在する「格差」の問題、そういったものすべてに鈍感な女はもちろん、どれかひとつには関心があってもその他の問題には無関心な女、彼女たちもこの呪いの手紙――または恋文の宛先となりうる。

「女であることでそんな不利益をこむったことがない?」「自分が女であることに違和感を覚えたことも不満も感じたこともない?」
へえ、良かったね。あなたたちはそのままぬくぬくと「女であるというだけで差別されない恵まれた環境」で生きていけたらいいね。環境が恵まれているのか、あなた方の目が節穴なのか、さすがのわたしもそこまでは察しかねるけど。セクハラのパワハラも受けたことがなく、それに対応しようとしたこともなく、「自分は女だけど人間扱いされたことしかないから分からない」、そういうことを臆面もなく口にしてしまう「愛すべき鈍感な女たち」。あなた方がわたしのような苦しみを味わったことがないのは幸いだとおもってるよ。あなたたちはきっと「女と女」という女同士の恋愛や性愛を覆い隠しかねない危険な概念にも違和感なく溶け込めてるんだろうね。さすがです。こっちには来ないで。

「オタクをしてて何が悪い?」「推しが国の行事に関わるのは光栄なこと?」
ううん、何にも悪くないよ。わたしがここで想定しているのはジャニーズ事務所のオタクのことだけど、しいて言うなら「あなたのおつむが悪い」かもしれないことを責めてるかな。ヒトラーが始めて今もなお連綿と続ているアホみたいな聖火リレーの一員に「推し」が選ばれてそんなにうれしいの? 自分の好きなアイドルが神様でもなければ人間でもない差別された「象徴」と並んで歌ってるのみて本当に「光栄」だと思ったの? 良かったね。あなた方は「おつむが悪い」というより、この国の立派な「国民」をやっているだけだね。失礼しました。

「推しにお金をかけるのが幸せ!」「ガチャで推しが出るまで回し続ける!」「現場には有り金はたいて行けるだけ行きまくる!」
すごいね、ド根性だね。消費は楽しいね。同じ対象に同じようにお金をかけた相手と繋がるって現実の他にはない得難い関係性だよね。推しに対する関係とともに、オタク仲間との関係も大切にしたくなっちゃうよね。でも、どれだけお金をかけられるか、どれだけ現場に行けるかは人によって違うよ。正規雇用の人もいれば非正規雇用も人もいれば普段は無職だけど風俗でどかどかお金を稼いでコンサートには全部行くみたいな人もいる。それに自分の好きな対象が何かの仕事するとき、それこそ天皇と歌ったりゼクシィとコラボして婚姻届のデザインにされたり、そういう「推しの仕事を推せない」状況もあるよね。それでもあなた方は同じように「消費行動」を続けるの? まあ続けてもいいとおもう。消費を通じて得られる関係性にしか縋るものがないんだよね。きっと。わたしはそういうのやめたからちょっと羨ましいよ、あなた方鈍感なオタク女たちが。

フェミニストの活動家さんなんですか?」「めんどくさっくて実は選挙行ったことなくて……」「政治の話詳しいですよね!」
うっせえな! 詳しいもクソもあるか! 生き残るために必要な知識を仕入れとるだけじゃ! そんなもん知らずとも今後ものうのうと生きていられるというならどうか死ぬまでのうのうと生きていくがいい。給付金をありがたく受け取り、そのお金で自己投資をし、お国の都合の良いように操作された情報があふれるインターネットで、おしゃれなカフェの写真をあげる、まあいいんじゃないですか。結構なことだろう。わたしはあなた方のことは嫌いだけど。

あーあ、またやってしまった。憎しみの連鎖に加担してしまったね。でも本当はこれは恋文にしたかったんの、女と女を分断させたいわけじゃないの。

タイトルは呪いの手紙にしちゃったけど、「いろいろな矛盾を抱えながらも、その矛盾が生じさせた原因と向き合ってさ、お互いバチバチにやりあって一緒に”女”を、”オタク”を、やったりやめたりして"生活"とやらに向き合っていこうよ」という愛をそこかしこに散りばめたつもりなの。

でもきっと届かないとおもう。今まで同じようなこと散々言ってきたもん。学校の教室でも、論文でも、友達の本でも、自分のブログでも、Twitterでも。いや、待てよ。もしかしたら一人か二人かくらいには届くかもしれない。もしこの手紙を受け取って感動し、心からわたしと話したいと願う人がいたら、わたしは涙を流して「まずは交換日記から……」と歳不相応な「お友達になりたい」アピールをするだろう。

言っていることに全くまとまりがないのは分かっている。何しろ強めの眠り薬を倍量飲んだあとで勢いで書いているので、たぶんそこかしこで議論が破綻している。それにほんとうは「愛すべき鈍感な女たち」を呪うのではなく、そんな卑屈なポーズをとることなく、「一緒に考えたいんだよ」というストレートな恋文を投函するべきだった。わからない。でもそれじゃあ彼女たちには届かなったかもしれないような気もする。そうはいってもこの手紙だって誰にもどこにも届かないかもしれないね。

わたしは今とても具合が悪い。具合が悪い上に、大したことはない小さな会社だが、その会社の命運も両肩にのしかかっている状況である。毎月売り上げをみては消化器官がねじりあげられているような心地がする。人を切り、シフト減らす交渉をし、頭を下げる。

ああ、結局ひとりよがりな愚痴で終わってしまったね。生活は難しい。ほんとうに難しい。生活をするたびに年々許せないものが増えていく。のうのうと生きている鈍感な女たちがそのままのうのうと幸せな日々を送ることを祈っているよ。嫌いなわけじゃない、ただちょっと憎たらしいだけ。「愛すべき鈍感な女たち」が。