失うものは何もない?

同年代の知人から「自由」とか「身軽」とかそんな風に評される機会が増えて、「まあ確かに失うものが何もないからねえ」とてきとうに返したり(返さなかったり)している。

失うものが何もないというのはどういうことなんだろうな、自分で言いながらよく分かっていなかったのだが、「失うものは何もない」仲間の友人が「うちらには守るべきものが何もないからねえ」とのたまっていて、少しびっくりした。でも、たぶんそういうことだと思った。

要するに「失うもの=守るべきもの」というのは「配偶者」や「子ども」など「家族」の存在(そして彼ら彼女らを支えるための仕事)をさしていて、だから結婚するつもりもなければしたいとも思わないわたしのような者が「自由」で「身軽」なように見えるのかもしれない。

先日髪の毛を桃色に染めたとき「普通の大人はこんな色にしないからね」と言われたこともあった。「そうだねえ」とふぬけた返事をしたが、つまり「普通の大人」というのは週に5日朝から夜までひとつの組織でつとめる労働者のことで、わたしはそこからはみだしているように見えたのだろう。

このところそういう風に言われる機会が増えたのは、年齢を重ねるにつれて周囲に「守るべきもの」を持つようになった人が多くなったからなのか、単にわたしが以前よりも奔放に振る舞うようになったからなのか、どちらともつかないけれど、わたしはわたし自身の生活を失いたくないし、守りたいというほど大切なものはないとしても、「失うものは何もない」なんて自虐めいたことを言うのはやめようと思う。

「普通の大人」になりたいわけではないが、まるで一人でいることを、他人の生活に責任を持たないことを詰られる筋合いはないのだし。

さっき薬を受け取りにいつもの病院にいったら頭の色を見て「どうしたの!?」と主治医にたいそう驚かれたが、「元気が出そうな色でいいね」とあたりさわりのない世辞を言われてへらへら笑ってしまった。