無気力日記

今日も1日無気力で、仕事中、10日前の自分の日記(紙のノートにつけているやつ)を読み返したら「今日感じた不安」という欄に「自分がスベっているのではないか」と書き込んであっておかしかった。どうしてそんなことを書いたのか全く思い出せない。10日前のことすらろくに思い出せないんだから、1年前のこと、5年前のこと、10年前のこと、もっと昔のことなんてろくに覚えているはずがない、という気がするけれど不思議と鮮明に残っている記憶はいくつかあるものだ。

友達全員の意見が割れて必死に気まずさに耐えた高校近くのサイゼリヤCCレモンをこぼしてしまったこととか(あのときのメンバーとは全員絶縁してしまった)、とある映画のロケ地になった中目黒のカフェで当時好きだった女に「サラダとりわけるの下手だね」と言われたこととか(とりわけは彼女が全部やってくれた。わたしはもうめんどうになって大皿から直接食べればいいやという気分になっていたのでなんだか申し訳なかった)。

パソコンの液晶画面を見つめているのがつらくて今日は1日天井をあおいでいた。思考が煮詰まったときに他の作業をはじめると余計に脳が混乱するから、いったん天井をみつめるとよいと友人が教えてくれたので実践しているのである。天井と見つめあっているとくっきりとした輪郭を持つ過去のできごとが覆いかぶさってきて、わたしの時制をぐちゃぐちゃに混乱させる、そうしてわたしから「今」を奪っていこうとする。どうぞくれてやる、といって気前のよいわたしは壁をのぼって今夜は天井の思い出のベッドで寝る。

別れたともだちのこと

自分の感情が沸点をこえ、対話しようという意欲や気力、体力が失われたと感じるとき、衝動的にともだちと別れてしまうことがある。数年に一度のペースでそのような機運が高まってしまうタイミングが訪れるので、なんというかこれはもう人格の問題なのだろうなあとおもう。

頭に血がのぼる、というのとも違うのだが、そうなるともう「別れるしかない」「わたしたちはもう終わりだ」という考えにとらわれて冷静な判断ができなくなる。振り返ってみるとどうして自分がそこまで追い詰められた気持ちになっていたのかは分からない、ということばかりで、当時は「絶対に許せない」とおもっていたはずの相手も、今は「なつかしいかつてのともだち」だ。ずいぶん手前勝手な話ではある。

なつかしいかつてのともだち、といってぼんやりと頭に浮かぶの幾人かの顔、なぜ自分と彼女たちがうまくいかなかったかといえば、たぶんわたしがうそばかりついていたからで、さっき自分が追い詰められた気持ちになっていた理由は分からないと書いたばかりだけれど、それもひとつのうそに違いない。

本当は場をとりしきるのもみんなの予定を調整するのもお店を決めるのも特別好きじゃなかったけれどいい顔をしたくて好きなふりをしてしまったし、結婚するつもりは毛頭ないのに自分の考えや立場を打ち明けるのが億劫でなんとなく話を合わせてしまったし、自分自身面倒でしょうがないと感じているルールを他人に課すような真似をしてしまったし、説明しようとすると言葉に詰まってしまうのだが、恐らく自分のおもう「いいこちゃん」でいなければと自縄自縛の状態になり、ひとりでパンクしてあたふたしていたのだとおもう。

本当におもっていることを言葉にするのはいまでも難しい。自分が何を思っているのかもいまいちよく分からないので、困ると「いいこちゃんならこのような場面ではこのような発言をするべき」というふうに「いいこちゃん」らしい言動をとろうとしてしまう。なんでこんなややこしい思考が定着してしまったんだろうかとおもうけれど、家庭環境や以前の勤め先でたたきこまれた「社会常識」なるものの影響はあるのかもしれない。なので、最近はすこしずつだがなるべく素直におもったことを言う練習をしている。どんなにくだらないことでも良いから、他人にどう思われるかを気にせず言葉を発してみようとしている。

もし、そんなささやかな試みをしているさなかの自分となつかしいかつてのともだちが会うことがあれば、どんな会話をするのだろうと想像したりもする。つまらない人間になったとおもわれるかもしれないし、もう二度と言葉を交わしたくなかったと憎悪を向けられるかもしれないし、一度ダメになった(ダメにした)人間関係が元通りになることなんてないのかもしれず、なのにこんな他愛のない妄想をしてしまうのは、なつかしいかつてのともだちの生活が、当たり前だが、自分と別れた後も連綿と続いていることにしみじみと感動してしまうからだ。

別れたともだちとわたしはもともと違う人間で、完璧にわかりあうことなどできず、たまたまともに過ごす時間がいくらかあっただけで、別れたところでそれぞれに淡々と別の作業をして暮らしており、言葉にしてみるとそれが一体なんだという感じなんだけれど、別れてからはじめて「ああ、別々の人間で良かった」と不思議な安堵を覚えたのだった。

別れるまでもなく、友達とも、どんな関係性の他人ともわたしは違う人間で、わたしはわたしにしかなりえないのだから、そういう孤独を忘れないようにしたい。どんな親密さにおいても。別れたともだちは、その点においてみんな孤独だった。わたしひとり、甘えていたのだとおもう。

なんでもないことを言う

一日一回なんでもないことを言います。今日あったかかったね。

物心ついたときにはすでに何かの「オタク」だったので(自分が「オタク」をしていた一番ふるい記憶はウルトラマンに登場するキャラクターの相関関係を聞かれてもいないのに祖母に熱弁していた場面である)、何かを話そうとしたり何かを書こうとしたりするときには常に確固として「語りたい対象」があって、だから「明日から雨らしいよ」とか「今日の給食揚げパンだってさ」といったようななんでもないことを言うのがすこぶる苦手だった。

苦手というか、そういう会話には意味がないと思っていたので、天気の話ばかりしている同級生のことも給食のおかわりばかり気にしている同級生のこともつまらないやつだと内心激しく見下していた。しかしわたしなんかよりそういう同級生たちの方がよほど毎日を楽しそうに過ごしていて、納得がいかないと感じたのをおぼえている。

わたしには休憩時間の遊び相手もいなかったので、クラスメートがドッジボールに興じるにぎやかな声に顔をしかめながら、校庭のすみのベンチにひとり腰かけて星座図鑑やダレンシャンなどに読みふけっていた。一見物静かで手がかからなそうに見えるがその実たいへん気難しい子どもで、周囲のおとなたちを散々困らせていたような気がする。

そういう子ども時代を過ごした人間がどういうおとなになるかというと、こういうおとなになるわけで、労働や課金生活に疲れて「オタク」的活動をやめるとなったとき話すべきことがなくなる。語りたい、語らずにはいられないと感じるほど熱烈に入れ込む対象もなく、ぼんやりとさまざまな創作物を読み流し、聞き流し、そういう風に過ごしていると、かつての自分が軽蔑していたはずのなんでもない会話が、急にいとおしく思えてくる。

今日寒いねとか、あの花きれいに咲いてるねとか、そういう言葉は共通の趣味や思想を持っていない他人とも交わすことができるもので、趣味や思想を特定の人間と分かち合あうとすることに疲れてしまった今、その手のなんでもない言葉にびっくりするくらい癒される。これまでは無駄だと思っていたし、言うまでもないと切り捨ててきた現実を、言葉にして投げ掛けると意外に反応があって、なんでもない会話がなんでもなく続いたりもし、わたしが30年近く関心を持たず無意味なものだと信じ込んできた事柄はとりもなおさずわたしが生きるわたしの現実そのものだったのかもしれないと思いつきが飛躍する。

そうはいってもなんでもないことをなんでもない風に言うのは難しくて、何かしらの創作物や成果物を通してしかわたしは何かを言うことはできないんじゃないかと自分を追い詰めそうにもなるのだが、何かしらの創作物や成果物を出しても出さなくてもわたしにはわたしの現実があり、なんでもないことを延々とぼやき続けてもいいし続けなくてもいいのだということを忘れてはいけない。

全然前向きではない一日

わたしは日記を書くのが非常に苦手で、というのもいろいろな理由があるのだが、まず毎日これといった目的のない文章を書き続けられるほどマメじゃないし、その日起きた出来事をありのままに書ける素直さもないし、書き始めてしまった時点で「ありのまま」じゃないだろうと難癖をつけてしまうような性格だし、とにかく日記風の文章を書く作業に向いていなくて、でもそれだと日記風ではないまとまった文章を書かなければと気負ってしまい、気負えば気負うだけ疲れて何も書かなくなってしまい、それでいて何も書かないでいると次第に落ち着きを失い、別に何も書かないでいたっていいんだけれど、何かを書いていた時期の方が長いので、結局こういうくだらない前置きをしなければとりとめのない日記すら書くことができなくなってしまったのである。

ネガティブな言葉を使えば使うほど言葉に引きずられて暗い気持ちになるという話はわりかしよく聞くもので、自分でも自分の書いた文章にとりつかれてしまったようになることがたまにあるので想像はできなくないのだが、そもそも「ネガティブな言葉を使わない」というふうに言葉を選別する過程が疲れるし、「~~をしない」と自分のなかでルールを決めるとそのルールを破ってしまったとき本来であれば生じなかったはずの落ち込みが生じるし、「こんな時代だからこそ前向きにがんばろう」といった言説は意に介さないでいたい。

今日こそは日記を書こうと筆をとったのにまだわたしは起床すらしていないので、さすがにそろそろ起きようとおもう。今朝は定時を1分回った時刻に目が覚め、定時を2分回った時刻に出勤した。朝から耳鳴りがして最悪な気分で、頭もろくに動かないし、とりあえずタスク管理ツールに前日の自分が記録していた作業をとっかかりやすいものから順につぶして、お昼は絶対にやよい軒の唐揚げ定食(※白米をもち麦ごはん変更)にすると決めて休憩をとったのに、近所のやよい軒交通系ICマネーの決済に対応しておらず、家の鍵とSuicaの入ったスマートフォンしか持っていなかったわたしは万事休すで、券売機の前に立ち尽くしてしまったのだが、いま思えば店員に気づかれる前に出るべきだったかもしれない。訝しげに様子をうかがわれ、まあ自意識過剰なだけだったかもしれないのだが、そそくさとやよい軒をあとにして不本意ながら松屋で牛焼肉定食を頼み、なぜ不本意かというと本当は松屋なら豚焼肉定食の方が好みなのだが、やよい軒の唐揚げ定食を食べられなかったショックで自分にとって最善の選択ができなくなっていて、ゴムのような味のする牛肉を機械的に飲み込んで、午後は気の重いミーティングをこなした。先方にまくしたてられるだけで終わった。自分が話さなくていいという意味では楽なのだが、特に興味のない相手から聞く必要のない話を延々と浴びせかけられると気持ちがけば立ってしまう。きっと悪い人ではないのだろうが、悪い人ではないというのは何の免罪符にもならないし、こういうときに「悪い人ではない」と言いたくなってしまうのは相手を責めている自分をかばいたいという無意識によるもので、「めちゃめちゃはなしなげえおばさんだったけど悪い人ではなかった」と相手をフォローしている自分に満足したいだけなのではないか。そう考えると相変わらず自分はいやしい人間だが、なんちゃらなんちゃらとかいう団体を辞任した森とかいう老人を「悪意はなかったんだろう」といった言い回しで擁護している手合いをみるとうんざりするし、話が飛躍してしまったけれど、今日の打ち合わせ相手の中年女性は退屈ではあったが悪質な人間ではないように感じられたのである、森とかいう骨の髄まで権力に毒された悪人とは違って。

やはりおもったとおり全然日記にならない。まだ30分くらいしか時間をつぶせていないのに無駄に1,500文字も書き連ねてしまったが、目をおおい耳をふさぎ何もかも投げ出してしまいたくなるような一日の連続をほんのちょっと切り取ることはできたかもしれなくて、同じように目をおおい耳をふさぎ何もかも投げ出してしまいたくなるような一日を送っているどこかの誰かがこの文章を読んでくれているのだとしたら、わたしはひっそりと喜ぶだろう。

失うものは何もない?

同年代の知人から「自由」とか「身軽」とかそんな風に評される機会が増えて、「まあ確かに失うものが何もないからねえ」とてきとうに返したり(返さなかったり)している。

失うものが何もないというのはどういうことなんだろうな、自分で言いながらよく分かっていなかったのだが、「失うものは何もない」仲間の友人が「うちらには守るべきものが何もないからねえ」とのたまっていて、少しびっくりした。でも、たぶんそういうことだと思った。

要するに「失うもの=守るべきもの」というのは「配偶者」や「子ども」など「家族」の存在(そして彼ら彼女らを支えるための仕事)をさしていて、だから結婚するつもりもなければしたいとも思わないわたしのような者が「自由」で「身軽」なように見えるのかもしれない。

先日髪の毛を桃色に染めたとき「普通の大人はこんな色にしないからね」と言われたこともあった。「そうだねえ」とふぬけた返事をしたが、つまり「普通の大人」というのは週に5日朝から夜までひとつの組織でつとめる労働者のことで、わたしはそこからはみだしているように見えたのだろう。

このところそういう風に言われる機会が増えたのは、年齢を重ねるにつれて周囲に「守るべきもの」を持つようになった人が多くなったからなのか、単にわたしが以前よりも奔放に振る舞うようになったからなのか、どちらともつかないけれど、わたしはわたし自身の生活を失いたくないし、守りたいというほど大切なものはないとしても、「失うものは何もない」なんて自虐めいたことを言うのはやめようと思う。

「普通の大人」になりたいわけではないが、まるで一人でいることを、他人の生活に責任を持たないことを詰られる筋合いはないのだし。

さっき薬を受け取りにいつもの病院にいったら頭の色を見て「どうしたの!?」と主治医にたいそう驚かれたが、「元気が出そうな色でいいね」とあたりさわりのない世辞を言われてへらへら笑ってしまった。

生きてる資格

父親に「おまえは死んでもいいから」と言われたことを思い出してなんともいえない気分になる。こういう自傷行為はよくない。分かってはいるものの、自分がそのことばに怒り傷つきむなしさを感じた事実は、書き残しておいた方がよいかもしれないとおもった。

わたしがいわゆる濃厚接触者の濃厚接触者になったとき、同居家族の一部は自宅ではない場所に各々避難した。詳細な状況は割愛するが、とにかくわたしはさまざまな理由が重なってウィルスが存在している可能性のある自宅に留まることになったのだった。

そのとき、父に「まあおまえはいつ死んでもいいから」と笑い半分に言われた。

父のいわんとしていることはなんとなく分かる。

一、わたしはもともとうつ状態で父にとっては生きているのも死んでいるのも変わらないようなありさまだったからである。二、わたしは在宅勤務でかつ重要な商談や打ち合わせなどが控えていない状況だったからである。三、わたしは結婚も出産もしないことを明言しておりどうせ生きていても父の「孫の顔が見たい」という希望を叶えられないからである。

わたしは考えすぎなのかもしれない。三十も間近の子どもを実家から追い出さないというだけでわたしはじゅうぶんに恵まれているともおもう。父はおそらく本心から「死んでもいい」と言ったわけではないだろうし、いざわたしが死ぬことになったらそれなりにかなしむだろう。

しかし父のなかに「命の優先順位」があることははっきりと伝わった。そして、そのランキングにおいてわたしは最下位に位置付けられているようだ。

まあ、父の気持ちは想像できる。でも想像できるからといって納得できるわけでも、笑って流せるわけでもない。女に生まれたわたしに「長男たれ」と望んだ父が、わたしには「生きてる資格」がないと無意識に感じているのは当然といえば当然のことだろう。

さっさとこんな家は出ていけばいい。出ていきたい。たったそれだけのことが今のわたしにはできない。でもそのことでわたしはわたしを責めないようにしたい。今日も一日生きた。

ためにならない、役に立たない

濃厚接触者の濃厚接触者になっていたのでしばらく外に出ていなかった。

はじめのうちはなんともなかったけれど、日光を浴びず、他人とじかに会って言葉を交わすこともなく、仕事が終わればすぐに布団をかぶって明日になるのを待ち、しかし明日になったとてまた同じ一日が繰り返されるだけなのだから「今日」も「明日」も変わらない、けれどもやはり一秒先でも未来のことはわからない、「明日」のわたしは「今日」のわたしではない、したがって「今日」と「明日」が完全に一致することはありえない、しかしそのためには「明日」のわたしが「今日」のわたしには思いもよらなかった何かをしでかさなければならない、などとくだらないことをぐるぐる考えるとも考えているあいだにわたしはまた一つ歳をとり、内閣総理大臣は右派メディアでつまらないジョークを飛ばし、東京の最低気温が下がった。

こんなこと書いたってなんのためになる? なんの役に立つ?

もちろんなんのためにもならないしなんの役にも立たない。しかし、なんのためにもならないしなんの役にも立たないものが存在していることをどうして「わたしたち」は許せないと感じてしまうのだろう? どうして無駄だと切り捨ててしまうのだろう? どうして怠惰だと責めたくなってしまうのだろう?

今日は久しぶりに急須でお茶をいれた。そうはいっても温度を確かめるものがないのでお湯の加減は適当だ。一応むらす時間だけはきちんとはかった。これは「昨日」のわたしが飲むのを諦めたお茶だ。おいしかった。

急須で茶葉からいれようがティーバッグで楽をしようがペットボトルを買おうがお茶を飲んでいることに変わりない、お金がもらえるわけでも承認欲求が満たされるわけでも友達が増えるわけでも悪夢をみなくなるわけでもない。

それでいいのだとおもう。

でも、なんのためにもならずなんの役にも立たないことはときにわたしを苦しませる。なんのためにもならずなんの役にも立たず意味も価値も評価も置き去りにしてどこかとおくへ行くためには、もうすこしオシャンな急須でも買うべきだろうか。これからわたしに誕生日の贈り物をくれようとしている人は急須をください。生まれてきて良かったとは思わないが死にたいとも感じていないので、「今日」のわたしは。